新光電気は、1946年、敗戦の混乱のなか、家庭用電球の再生事業を行う小さな町工場として産声をあげました。その後、半導体分野への進出、海外への事業展開等の大きな転換点を経て、現在、世界中の多くのお客様とグローバルにビジネスを展開する企業となりました。
そのあゆみは、黎明から発展に至る半導体産業にあって、常に技術開発を進め、新しい市場の開拓に挑戦し続けた歴史でもあります。
1959年
1957年、富士通株式会社の資本参加による資金をもとに栗田工場を開設し、新たに半導体分野への事業展開をはかることとなりました。この新工場から、1959年にトランジスタ用ガラス端子「TOI1」の出荷が開始されました。さらに、最先端のガラス端子製造技術の導入のため、米国GTI社との技術提携も行い、その後の事業における技術の礎を築きました。
GTI社へ出張する当社役員ほか(1961年)
1946年
家庭用電球のリサイクルを主な事業目的として1946年2月に設立された、「合資会社長野家庭電器再生所」が新光電気の前身です。本合資会社は、旺盛な需要を背景に、創業の1946年9月12日に、新光電気工業株式会社に改組・改称することになりました。
創立7周年記念式典(1953年)
1976年
1976年、米国カリフォルニア州の駐在員事務所開設に始まる海外展開は、その後、米国内、東南アジア各国、韓国、中国、ヨーロッパ等へと販売拠点を順次拡大しました。また、製造拠点として韓国、マレーシア等に現地法人を設立し、お客様のニーズのあるところで製品・サービスを提供するグローバルなネットワークを構築しました。
韓国新光マイクロエレクトロニクス
新光エレクトロニクスマレーシア
1969年
リードフレーム量産のキーテクノロジーとなる金型技術修得のため、富士通株式会社へ技術者を派遣し、当時非常に困難といわれていた精密金型によるリードフレームのプレス加工を開始しました。その後、1969年に、新光電気初のIC用リードフレーム「DIP-17」の出荷が始まり、さまざまなテクノロジーをもとにトップクラスのシェアを獲得するに至ります。
DIP-17
1996年
1996年9月12日、新光電気は創立50周年を迎えました。その10日前の9月2日には、東京証券取引市場第一部への上場を果たしています。長野市内で開催された記念式典では、国内外の新光グループから参集した社員が、記念すべき節目と東証一部昇格をともに祝いました。
創立50周年記念式典
1987年
低価格化のニーズとともに、CPU等の高性能ICを搭載するパッケージ素材としてプラスチックが注目されたことなどを背景に、1987年より多層化したリードフレームの開発に取り組み、その後、CPU用に供給を開始しました。さらに、高速化・高機能化のニーズに対応するため、1994年、多層プリント基板技術を用いたPLP(プラスチックラミネートパッケージ)の開発に着手しました。
若穂工場(1996年当時)
2004年
かつての主力工場・本社であった栗田工場は、工場開設以来約半世紀にわたり重要な製造拠点としての役割を果たしていました。工場の周囲は、工場開設当時は田畑が広がるのどかな田園地帯でしたが、その後の急速な宅地化等の環境変化をふまえ、地域社会との共生の観点より、工場を全て取り壊し、2004年に緑地園の中に資料館やホールが設置された「栗田総合センター」へと生まれ変わりました。その豊かな自然環境は、現在、地域の皆様の憩いの場所となっています。
創業時から蓄積した多彩な要素技術を応用・進化させることにより、新光電気は、「半導体パッケージの総合メーカー」という、独自の事業基盤を固め、世界中の主要な半導体メーカーやエレクトロニクスメーカーとビジネスを展開しています。現在、国内12拠点、海外21拠点の体制により、お客様のビジネスに貢献するべく、事業活動を行っています。
「新光電気工業」は、初代・奥田社長の命名です。新生日本での再起を目指そうという強い願いを込めて、希望と未来を意味する「新しい光」から名付けられました。
最初のロゴマーク(1967年制定)
新光電気の輸出は、米国カリフォルニア州のレストランで光延専務(当時)が受けたオーダーから始まりました。米国企業の社員と食事中に発注の話となり、その内容を同席していた現地販売代理店の社員が紙ナプキンに鉛筆でメモしました。このオーダーにもとづき、1971年、同社の韓国工場へガラス端子の出荷が開始されました。
紙ナプキンに書かれたメモ